アヴリル・ラヴィーン (Avril Lavigne) - 歌詞 人気曲 おすすめ 一覧

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アヴリル・ラヴィーン

Avril Lavigne

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品詞分類

  • 主語
  • 動詞
  • 助動詞
  • 準動詞
  • 関係詞等
  • 活動期間:

    2002~現在
  • 出身地 :

    カナダ・オンタリオ州・ベルビル

アヴリル・ラヴィーン(Avril Ramona Lavigne、1984年9月27日 - )は、カナダ・オンタリオ州ベルビルの出身のシンガーソングライター。

概要

モダン・ロック、パンク・ロック、ポップ・ロック、パワー・ポップなどの音楽性を持ち、2002年リリースのデビューアルバム『Let Go』は全世界で約1700万枚を売り上げ、アメリカでは6回プラチナディスクに選ばれた。2枚目のアルバム『Under My Skin』、3枚目の『The Best Damn Thing』は両方ともBillboard 200で1位にランク。シングルでは「Complicated」「Sk8er Boi」「I'm With You」「My Happy Ending」「Girlfriend」など11曲がトップ10入りを果たしている。現在、彼女のアルバムは全世界で約3000万枚のセールスを達成。カナディアン・ビジネス誌は「アメリカ合衆国で活躍する最もパワフルなカナダ人ベスト7」に彼女を選出している。

2007年12月、フォーブス誌はラヴィーンを「25歳以下の最も稼ぐ人物」の8位にランクしており、その年収は1200万ドル(約12億円)と記載している。2005年6月、20歳の時カナダのバンドSum 41のリードヴォーカル兼ギターリスト、デリック・ウィブリーと婚約、結婚したが2009年9月に別居中であることを発表、同年10月9日にロサンゼルス裁判所に「和解し難い不和」を理由に離婚を申請。2010年11月に正式に離婚が成立した。子供はいない。身長公称158cm。瞳の色はグレー。 ニッケルバックのチャド・クルーガーと2012年8月8日に婚約。

生い立ち

1984年9月27日、オンタリオ州ベルビルにフランス系カナダ人の両親、父ジョン・ラヴィーンと母ジュディの元に生まれた。5歳のときオンタリオ州ナパニーに引っ越し、青春期の大半をナパニーの小さな町ですごした。両親はバプテスト教の敬虔な信者だった。兄マシューと妹ミッシェルがいる。 ファミリーネームの Lavigne の読み"ラヴィーン(La-Veen)"は英語化された発音で、フランス語では"ラヴィーニュ"と発音し、"La Vigne"はブドウ園の意である。またギヴンネームの Avril はフランス語で4月(April)を意味する。母はいち早くアヴリルの才能に目をつけ、彼女は2歳の時から母と一緒に教会で歌い始めた。この頃から、声とキャラクターで周囲の人々を驚かせていたほか、幼少から男子と一緒に野球やサッカー、ホッケー等で遊ぶなど、風変わりで、かつ活発な側面を持っていた。12歳の頃に独学で始めたギターが、音楽の道へ進むきっかけになった。

1998年、14歳のラヴィーンはオーディションを勝ち抜いた末、カナダ人歌手シャナイア・トゥエインのコンサートツアーに参加。オタワでのトゥウェインのコンサートに登場しトゥウェインの曲『What Made You Say That』を披露した。また地元のフォークシンガー、スティーヴ・メッドにもその才能を見出され、レノックス・コミュニティ・シアターでの公演で彼はラヴィーンを招き、彼の1999年のアルバム『Quinte Spirit』用に自身の曲"Touch The Sky”を歌わせ、"Temple of Life" "Two Rivers"もアヴリルは彼の2000年リリースのアルバム『My Window to You』用に歌った。

オンタリオ州キングストンの大手書店Chaptersでカントリー・ミュージックのカバーを歌っていたところを、音楽マネージャーのクリフ・ファブリ(彼はデビューアルバム『レット・ゴー』のリリースまで彼女のマネージャーを担当することになる)に見出され、2000年、16歳の時にアリスタ・レコードA&R部門代表だったケン・クロンガードにより、同レコードの社長であるアントニオ・LA・リードとプロデューサーのPeter Zizzoに紹介される。彼女のパフォーマンスを見たLAは、即契約を締結した。ファーストアルバム『Let Go』の制作が終わった時、このアルバムに深く関わっていたレコーディング・チームのThe Matrixは彼女について「私達は16歳の、歌手として依然成長しうる素晴らしく新鮮な才能と出会いとてもユニークな経験をした。彼女は楽曲制作にとても熱心だし、我々は充実したレコーディングを行うことが出来た」と述べている。

キャリア

『Let Go』 (2002-2003)

ファーストアルバム『Let Go』は2002年6月4日にアメリカで初版を発売。アメリカで2位、イギリス・オーストラリア・カナダでは1位を獲得。ソロシンガーとしてイギリスのアルバムチャート1位に最年少の17歳でランクインした。アルバムはポップ・ロックをベースとしながらオルタナティヴ・ロックやポスト・グランジなどの要素が取り入れられた作品となった。

発売から1か月経ち、8月末には複数のプラチナディスク候補となり、その2週間後には3つのプラチナを授与されている。2002年末にはデビューからわずか半年でRIAAより4つのプラチナを獲得するに至った。2007年12月時点で同アルバムはアメリカ国内で660万枚、全世界で1600万枚を売り上げている。

このアルバムからは4曲がシングルカットされ、「Complicated」はアメリカのBillboard Hot 100で2位、オーストラリアで1位を獲得。2002年の「最も売れたカナダの曲」に選ばれた。同曲がContemporary Hit Radioのチャートで11週にわたり1位を独占する中、ラヴィーンはナタリー・インブルーリアの『Torn』のレコーディングにも挑戦していた。「Sk8er Boi」はアメリカ・オーストラリアでトップ10入り、「I'm With You」はアメリカ・イギリスでトップ10入りを果たした。「Losing Grip」は台湾とチリなど欧州・北米エリア外でもトップ20に食い込んだ。

2002年、このアルバムの功績が認められMTV Video Music AwardsのBest New Artistに選出され、2003年には他の5人のノミネートを打ち負かしジュノー賞を受賞。ワールド・ミュージック・アワードで「World's Best-Selling Canadian Singer」(カナダ人歌手最大のヒットメーカー)を授かり、グラミー賞では『Complicated』が "Song for the Year"、自身が "Best New Artist" など全8部門にノミネートした。

『Under My Skin』 (2004-2006)

セカンドアルバム『Under My Skin』は2004年5月25日アメリカでリリースされた。このアルバムはアメリカ・イギリス・ドイツ・オーストラリア・カナダ・メキシコ・アルゼンチン・スペイン・アイルランド・タイ・韓国・香港、そして日本の計13カ国で1位を獲得し、アメリカでは第1週目に38万枚を売り上げ、総合で800万枚を売上げた。

このアルバムの大半をカナダ人女性シンガーのシャンタール・クレヴィアジックと制作し、他にも元エヴァネッセンスのギタリスト、ベン・ムーディー、Marvellous 3のブッチ・ウォーカー、ラヴィーンの元バックギタリスト、エヴァン・ターバンフェルド、元ドラマーのマット・ブラン、クレヴィアゼックの夫でOur Lady Peaceのリーダー、レイン・マイダ、プロデューサーとしてドン・ギルモアが参加した。前作に比べ「He Wasn't」「I Always Get What I want」などの曲調はオルタナティヴ・ロック色を濃くし、「Freak Out」や「Who Knows」ではソフトなポスト・グランジとして聞かせた。

シングルカットされた「Don't Tell Me」はアルゼンチン・メキシコで1位、イギリス・カナダで5位、ブラジル・オーストラリアでトップ10入り、「My Happy Ending」はメキシコで1位、アメリカでトップ10入りとなり彼女のシングルで3番目に最も売れた曲となった。しかし3枚目のシングルカット「Nobody's Home」はアルゼンチンとメキシコで1位になったが、アメリカではトップ40にすら入らなかった。この売上不振が響いたのか4枚目のカット「He Wasn't」はイギリス・オーストラリアでのランクはトップ40、アメリカではリリースすらされなかった。最後のシングルカット「Fall to Pieces」は前作にもましてランクで健闘しなかった。

『The Best Damn Thing』 (2006-2010)

3枚目のアルバム『The Best Damn Thing』は2007年4月17日にリリースされアメリカで1位を記録した。同アルバムはドクター・ルーク、ロブ・カヴァロ、ブッチ・ウォーカーと彼女の夫がプロデューサーを務めた他、ブリンク 182のドラマー、トラヴィス・バーカーがドラマーとして参加している。またジャケットやブックレットの写真も、デリックが撮影したという。

最初のシングルカットは今やラヴィーンの代表曲となった「Girlfriend」で初めてBillboard Hot 100で1位を獲得した(シングルランキング)。ライアン・シークレストのラジオで2枚目は「When You're Gone」と発表。3枚目は「Hot」、最後は「The Best Damn Thing」となった。

『Goodbye Lullaby』 (2011-現在)

4枚目のアルバム『Goodbye Lullaby』は日本で2011年3月2日にリリースされた。(世界最速・日本先行発売)同アルバムでは前作までのプロデューサー(ブッチ・ウォーカー、デリック・ウィブリー等)に加え、先行シングル「What The Hell」ではマックス・マーティンがプロデュースを行っている。また、ラヴィーン自身のプロデュースによる楽曲も収録された。2作目のシングルカットは「Smile」、3作目は「Wish You Were Here」である。

ディスコグラフィ

アルバム

  • Let Go(2002年6月4日)
  • Under My Skin(2004年5月25日)
  • The Best Damn Thing(2007年4月17日)
  • Goodbye Lullaby(2011年3月8日)

シングル

  • Complicated(2002年)
  • Sk8er Boi(2002年)
  • I'm With You(2003年)
  • Losing Grip(2003年)
  • Don't Tell Me(2004年)
  • My Happy Ending(2004年)
  • Nobody's Home(2004年)
  • Girlfriend(2007年)
  • When You're Gone(2007年)
  • Hot(2007年)
  • The Best Damn Thing(2008年)
  • Alice(2010年)
  • What The Hell(2011年)